返信 17 スポック
投稿日 8/4(水) 18:54:32
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人間というもの(特に日本人)は、
自分の中に「未解決な問題」を抱えることに苦痛を感じます。
つまり「良く判らない」「結論が出ていない」状態が嫌なのです。
だから「○○は××である」と結論が出ているようなことを好むのです。
もしそれを受け入れないとすれば「○○は何だろう」と考えなければなりません。
あるいは「○○と△△はどちらが本当だろう」と疑わなければなりません。
たいていの人は自分の中の「迷い」という苦しみから逃れようとします。
宗教というものは、人間のその「弱さ」に付け込みます。
教えに従っていれば、迷うことはありませんから、心は楽になります。
しかしそれは「考える」ということを放棄しようとする態度でもあります。
「疑う」「考える」「迷う」ということは、人間として生きている証しなのですから、
それを避けて通ってはいけません。(このスポックの説教も丸呑みしてはいけません。)
水戸黄門や大岡越前が娯楽番組として変わらぬ人気を保つのは、
毎回「一件落着」して、番組の後で何も考えずに、すっきりするからです。
息抜きに見るのなら良いのですが、真面目に見ていたら馬鹿になります。
あれ?
このスレッドは何の話でしたっけ? |